夜の学校 08/10/11
「映画の歴史」全3回/
根岸吉太郎先生
Text: 那須ミノル
real local山形ライター。
https://www.reallocal.jp/yamagata
Photo: 三浦晴子

「夜の学校」レポート/「映画の歴史」(全3回)根岸吉太郎先生

やまがたクリエイティブシティセンターQ1でひらかれている「夜の学校」。今回、先生としてご登壇されたのは、世界的映画監督であり東北芸術工科大学理事長である根岸吉太郎さん。「映画の歴史」と題された全3回にわたる授業が、2026年3月5日、4月16日、5月14日に開催されました。
「夜の学校」は、クリエイティブをテーマとした、創造都市やまがたの市民学校です。優れた知恵やスキル、得意技を持ったかたがたに先生として授業いただくことを通して、生徒である私たち市民にその知恵を分けていただき、市民みんなでクリエイティブのちからを高めていくことをめざします。
この授業では実際に映像を見ながら映画の歴史の流れを追いました。ここでは、それぞれの回で紹介された内容のエッセンスをレポートします。

1)映画の誕生
一般的に、映画が誕生したのは1895年12月28日、パリのグランカフェにおいてであると言われている。リュミエール兄弟によって撮られた作品が上映され、リヨン近くのラ・シオタという駅のホームに列車が入ってくるシーンが映しだされると、それに驚いた観客は腰を浮かせたり逃げ出したりした、という秀逸なエピソードも残されている。しかし一方で、最初の映画はなんなのか、誰が最初に映画をつくったのか、はひとつの定説におさまりきっていない。リュミエールではなくエジソンがつくった、という説もある。なぜそのようなことになっているのか。理由は、映画が誕生した19世紀後半の状況にある。
そもそも映画誕生の時代、そこに関わる人々に「映画をつくる」という意識はなかった。「どうすれば写真を動かせるか」「どうやればものが動いて見えるのか」というのがテーマであった。それは自然科学系の、科学者や発明家たちの領域である。19世紀とは、そんな彼らによって「動いて見える装置」がつぎつぎに発明された時代であった。
1800年代に発明された「フェナキスティスコープ」「ゾートロープ」「プラキシノスコープ」などはいずれも「絵が動く」装置であり、アニメーション映画の原型ともいえる。プラキシノスコープをつくったエミール・レイノーは、1892年には「テアトル・オプティーク」という劇場でスクリーンに投影してみんなで映像を見る、という興行をおこなっている。上映された作品のひとつは「哀れなピエロ」というアニメーション。アニメーションの立場の人たちからすれば、これこそ最初の映画かもしれない。

また、絵ではなく、写真を動かそうと考えた人たちもいた。エティエンヌ= ジュール・マレーというフランス人は、ライフル銃のような形をしたカメラを開発し、連続写真を撮影した。また、エドワード・マイブリッジというイギリス人はのちにアメリカに渡り、馬などの動物や人などの動きを連続写真として撮った。映画の発明時代においては、セルロイドのフィルムがつくられたことの意義も大きい。イーストマン・コダックによる発明であった。
絵が動く装置がある、セルロイドのフィルムもある、という条件の揃った状況から、エジソンがアメリカで「キネトスコープ」というものを発明する。ひとりで覗いて見るタイプの、いわば「覗きからくり箱」のようなものだった。そして、これこそが最初の映画であると主張する人たちもいる。
さて、では、リュミエール兄弟はどうだったのだろうか。彼らは写真工場の経営のかたわら、セルロイドフィルムを用いて、撮影と上映ができる新しいカメラ「シネマトグラフ」を開発した。そして撮影したものを1895年のパリで上映した。それぞれ50秒ほどの作品で、そのひとつは前述の列車の到着シーン。またひとつは、工場の出口から出てくる人たちであった。これらは、ドキュメンタリーのように見えて、実は出演者の動きやタイミングに演出が加えられていた。
リュミエール兄弟は、このカメラをたくさんつくり、それを持った技師たちを世界中に派遣した。19世紀終わりから、シネマトグラフをもった人たちが世界中に散らばり、さまざまなものをドキュメントしていったのである。

2)記録から娯楽へ
リュミエール兄弟がはじめて映画を上映した瞬間に観客として立ち会っていたのが、ジョルジュ・メリエスである。リュミエール兄弟が撮ったのは記録としての映画。彼らのカメラは世界各地へ飛び、世界中のものをドキュメントとして撮って上映するところまでは進めたものの、その先の映画の可能性を信じることができなかった。これに対して、その先にある新しい可能性を開拓していったのがメリエスである。その意味で、映画の歴史において彼が果たした役割は大きい。
奇術師であったメリエスは、みずから撮影機器をつくり、じぶんたちで撮影するようになるうちに、彼自身が劇場でやっていた奇術師のスタイルをそのまま映画に取り込んでいく。やがてできあがった代表作が『月世界旅行』である。映画は、月世界旅行に行くために科学者たちが集まり会議をするところからはじまる。弾丸みたいなロケットやそれを打ち上げる大砲をつくり、そのロケットに乗り込んで月へと向かう。月に到着すると、月の内部や月の海での冒険が展開されるなど多彩なアイデアが映像化されている。こうしたアイデアをメリエスはすべてじぶんで考え、セットを用意し、構図を考えた。映画俳優もいない時代であり、芸人や知人を寄せ集めて演出していた。いわばこの映画は、最初のSF映画であろう。はじめてこれを見た観客たちは大いに驚き楽しんだはずだ。この時代にメリエスがいたことは、映画の歴史に大きな意味を持つが、この時代に生きたことは彼にとっても幸運なことだっただろう。
他方、SFやファンタジーではない方向へと映画の可能性をひろげていったのが、エジソン・グループであり、その代表がエドウィン・S・ポーターである。彼がつくった映画『アメリカン・ファイアマン』は、火事の知らせによって出動した消防士たちが火事を消し止め母子を救うという、いわば劇映画であった。そして、その作品を経て生まれたのが『大列車強盗』である。犯罪もの、勧善懲悪もの、と呼べるような、もっとも古典的な、まさに映画の典型のような決定的作品である。
とはいえ、このころはまだ「映画の文法」と呼べるものは存在しない。ワンシーン・ワンカットで撮影されている。ギャングが列車に乗り込むところ、列車のなかにやってきて金品を奪うところ、切り離した列車で逃げるところ、保安官たちが強盗を追いかけようとするところ、見つけてショットガンの撃ち合いがはじまるところ、というようにシーンひとつひとつが順番に並べられて物語が進行していく。また、この映画の最後には、ギャングが観客に向かって銃を撃つという衝撃的なカットがある。クローズアップという発想の力強さは、この映画が大成功を収めた大きな要因と思われる。この映画にはその後に隆盛するアメリカ映画の雰囲気が内包されていた。

3)映画の文法の発明
誕生以来、よちよち歩きだった映画が、すこしずつ映画としての体裁を整え、いよいよ今日の映画のように映画らしくなってきた、というときを迎えるのが、1910年代である。はじめは50秒ほどにすぎなかった映画は、やがて10分ほどのものとなり、そしてとうとう1時間もの、2時間ものとなる。つまり、物語を語れるものとなっていくのである。
D.W.グリフィスがアメリカで1915年につくったのが『国民の創生』である。これにより彼は「ハリウッドの父」「アメリカ映画の父」さらには「映画の父」とまで呼ばれることになった。それは、この映画の中にさまざまな「映画の文法」がはじめて確立されたからだ。グリフィスは、同時代で世界のさまざまな場所で試されていた「クローズアップ」や「スペクタクル大史劇」などいろんな発明をうまく統合しひとつの映画にまとめあげた。「アイリスカット」という手法や、さまざまなシーンを「クロスカッティング」して編集で合わせていくというようなこともやっている。それがこの映画の真骨頂である(ただし、この映画は人種差別的であることから、現在ではこの映画への評価に疑問が出てもいる)。また次の映画『イントレランス』では、さらに複雑なクロスカッティングによって、四つの時代の物語を往復しながらサスペンスと主題を積み上げていく。また、この映画では「バビロンのセット」という有名な、映画史上最大の建造物がつくられてもいる。


もうひとつ、この時代に注目したいのが、『カリガリ博士』というドイツ表現主義の映画である。そこにあるセットも、物語も、精神も現実も、すべてが歪んでいるような世界が描かれている。登場人物も、メイクや表情、衣装、そしてカリグラフィまでかなり奇抜で、不安感を煽り立てている。
これら『国民の創生』『イントレランス』『カリガリ博士』という映画によって、ほとんど現在のような映画の文法が確立されたと言える。映画が誕生した1895年からわずか20年ほどのあいだに起きたことであった。
最後に、ここまで「映画の誕生」を学んできたみなさんにぜひお勧めしたいのが『吸血鬼ノスフェラトゥ』『フランケンシュタイン』そして『メトロポリス』という作品である。これらは、いまだにいろんな映画で引用されたり、ここをベースに新しいものが生まれたり、というような、映画の教科書とされている3本である。ぜひ、じっくりと見てほしい。

根岸吉太郎(ねぎし・きちたろう)
1950年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部演劇学科修了後、日活に入社。78年『オリオンの殺意より、情事の方程式』で初監督。81年『遠雷』でブルーリボン賞監督賞、芸術祭選奨新人賞を受賞し、05年『雪に願うこと』で芸術選奨文部科学大臣賞、第18回東京国際映画祭の4部門受賞をはじめ、多くの映画賞を獲得する。09年、映画『ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~』では、モントリオール世界映画祭 最優秀監督賞受賞。10年には紫綬褒章を受章。主な監督作品…『狂った果実』(81)、『探偵物語』(83)、『ひとひらの雪』(85)、『ウホッホ探検隊』(86)、『永遠の1/2』(87)、『絆-きずな-』(98)、『透光の樹』(04)、『サイドカーに犬』(07)、『ゆきてかへらぬ』(25)など。
Text: 那須ミノル
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Photo: 三浦晴子