Interview
「こころに平和をくれるもの」
vol.01 加藤健司さん
Text: 那須ミノル
real local山形ライター。
https://www.reallocal.jp/yamagata

平穏に、日常を生きる。そのための知恵や工夫のようなもの。暮らしのなかに埋もれている、奥ゆかしさのようなもの。それらもまた、このまちに生きる人びとの、とても大切なクリエイティビティかもしれません。このまちで日々を営む一人ひとりの胸の内をたずね、しずかな声にじっと耳を傾けながら、その輪郭をぼんやりとでも浮かびあがらせてみたいものです。
いったい、あなたのこころに平和をくれているものはなんですか。きょうは、山形大学人文社会科学部 日欧比較文学教授の加藤健司さんに話を伺います。
■プロフィール
加藤健司(かとう・けんじ)/1963埼玉県生まれ。1993年慶応義塾大学文学研究科博士課程単位取得退学。専門はドイツ文学、比較文学。洗足学園魚津短期大学専任講師、富山大学、金沢大学、富山国際大学などで非常勤講師を務めたのち、2010年より現職。訳書に『迷宮』(共訳、工作舎1996年)、『マゾヒズムの発明』(共訳、青土社2002年)、『ウルメル』シリーズ(ひくまの出版2005年)、『文学的絶対』(共訳、法政大学出版局2023年)などがある。
まったく、こころ穏やかじゃありません。研究とは関係ないことを職場でいろいろやらされて、「面倒くせぇな、またかよ」なんてぼやいている毎日です。でも、まあいいか、しょうがないか、とも思いながら。じぶんでなければ他の誰かがやるだけの表層的なことを、ただ淡々とやればいいだけ。そういう意味では気持ちはいつも低空飛行かもしれません。
野望めいたものもありません。もちろん、むかしは多少あったでしょうか。ドイツ文学の看板を掲げている以上、ドイツ人のドイツ文学者に勝たなければ、とか。でも、結局、読むスピードではネイティブには絶対に勝てないし……とアイデンティティの問題にぶち当たり、勝てるとすれば片足がアジアにあることを活かして比較文学やるしかない、と思ったのが大学院の時代。近代の日本人は、福沢諭吉も、森鴎外も、芥川龍之介もそうやってヨーロッパと付き合ってきたのだし、と。
もはや、このごろは、あきらかな成果がでることよりも、生きているあいだには答えがでないようなことを懸命にやることこそおもしろいよな、と思うようにもなりました。そもそもかつての文系の大学院なんて、人生半分捨てたようなもの。修士に進んだら新卒の価値が消え失せて「ふたつ多く歳を取っただけの人」と思われて、就職しようにも企業から相手にもされません。いっそ博士課程まで行って学者になろうとしても、大学で定職に就けるかもわからない、という感じで。実際、山形に来るまえに暮らしていた富山では、非常勤で、先の見通しが立たない不安定な時期がありました。でも、つらい時代だったかというとそうでもなく。時間があるからイワナ釣りに行けたし、魚捌きもできるようになったし。まだ赤ん坊だった娘の子育てにじゅうぶんにコミットできたし、農家に弟子入りして野菜づくりも学んだし。いろんな技術や楽しみを得たので、結果オーライです。
大学で仕事する以上、論文を書かなくては、という焦りはいつもあります。その焦りは書くことでしか解消されません。書くためには読まなくちゃいけないし、考えなくちゃいけない。うまくいくかどうかは、書いてみないとわからない。書いている途中で「やべぇ、どうしよう」と言ってみても、やっぱりじぶんでやるしかないわけで、「しかたない、また最初から行くか」と肚をくくってまた読み始める。焦ったりイライラしたりしたところでしょうがないわけです。
仕事のほかにやることといえば、ギターやボクシング、農作業、料理、お酒といったことでしょうか。ストレス解消というわけではありません。そもそもストレスというものをあまり感じるほうではないようです。ギターも畑も、やればそれなりに「ここむずかしいな」という難関があり、「あそこは上手にやれたな」という、乗り越えたさきに出会える喜びがあります。そうやってこころの凸凹が相殺されて、トータルで見ればおおよそ満足している、という気がします。「いろいろ面倒くせぇなぁ」というときにも、早朝に吸いこんだ「空気がうまいなぁ」とか、冬の夜中にたまたま目覚めたら「月が綺麗だったなぁ」とか、秋になったら「いい野菜が育ったなぁ」とか、そういうことがこころの凹みを埋めてくれているのでしょう。
今までやってきたいろんなことも、これから歳を重ねるとすこしずつできなくなるでしょうから、新しいなにかを見つけなくちゃいけないのかもしれません。でも、できないことが増えていくなかで、なにかひとつでも上手にできたら、その喜びはこれまでよりも大きいものになるんじゃないか、とも思います。
どうやらぼくにはすこし刹那的なところがあるような気がしますが、それはもしかしたら、まだ若いうちに亡くなった父の影響があるのかもしれません。長期的な計画もなく、野望もなく、上昇志向もほとんど持っていないのも、そのせいかもしれません。正直、「老後はこういうことがしたい」というような話が聞こえてくると「なんで生きている前提なのよ」と言いたくなる気持ちにならなくもないのです。
Text: 那須ミノル
real local山形ライター。
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